「居合の命」とは何か? 居合における「真の強さ」とは何か? 極真空手出身の武田氏が辿り着いた答えが「自由組太刀」でした。単一の居合道団体として全国規模を誇る国際居合道連盟 鵬玉会。その鵬玉会の哲学とは何か。なぜ「自由組太刀」が重要なのか。なぜ国内外から熱い視線を送られているのか。”鵬玉イアイ年鑑2019”から2つのコラム記事を転載して紹介します。
「居合の命」とは何か?
無外流居合の普及・指導活動を通じて武士道の醸成に貢献する
1.実戦こそ、すべての武道を貫く核心であり、生命である
後に、世界最大の武道団体となった極真空手の総裁、世紀最大の武道家 故 大山倍達 総裁が「自由組手」の声をあげられたことが、武道の現代における革命の狼煙となった。「実際に当ててみよう。ひょっとしたら効かないかもしれない、言われるような攻撃と防御のパターンにはならないかもしれない、相手が当たる寸前に思ってもみない防御をするかもしれない」
そこから始まり、異端、邪道とされた、極真空手。しかし、今はどうだろう? かつての異端は現代の王道となった。邪道とされた実戦空手の声は、今や空手の世界では当たり前の本流である。大山総裁はこう言われた。「実戦こそ、すべての武道を貫く核心であり、生命なのである。だから実戦から遊離したり、これを放棄する武道は武道と呼ぶに値しない。」
居合の命とは・・・
その武道についての哲学は、おそらくどんな武道についても変わらない、不変の真理に違いない。
今や、約束の上にしか稽古しないような武道でも、かつて強かった人がいたはずだ。だから今も残っているのであろう。止まれ。あなたの居合は「強さ」が根幹にあるか。私の居合に「強さ」はあるか。
強さが実戦性を意味するなら、はっきりしていることが一つある。武道の根幹が「強さ」にあるなら、居合の命は「組太刀」と「試し斬り」である。約束組太刀の動きから身につけ、サイドやバックを取る、その無外流の特長に気付くまで研究をしてみよう。鵬玉会の自由組太刀の「強さ」を最終的に追い求め、形通りに斬る試し斬りの「抜き打ちの初太刀」にこだわってみよう。「居合の本義は抜刀の一瞬にあり」なのだから、二の太刀、三の太刀は居合ではない。それは遊びであって、私達にとっては意味がない。
鵬玉会のその姿勢にブレがないのは、その哲学があるからだ。私たちの無外流は武道なのだ。
抜き打ち座技 横一文字 畳表一畳は置かれただけで固定はされていない。無外流 新名宗家は昭和58年以来「ゴタクはいらない。この試し斬りをできたら、そのとき話を聞いてやろう」と言い続けている。
What is 「斬れる居合」?「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
1.実戦は、2つに1つの選択の積み重ね
無外流における真剣勝負、実戦組太刀の攻防は無限である。相手が斬ってくるのか、突いてくるのか。その刃筋、あるいは間合、またはタイミングによって無限、自在に変化する。かつて極真空手において「ケンカ十段」とうたわれた芦原英幸師範の言葉を借りるなら、「だからといって真剣勝負は複雑ではない。要は相手の一瞬の動きを見極める事によって、右に動くか左に動くか、
前に出るか退がるかといった、いくつもの動きの分岐点で2つに1つの選択の積み重ねで成し得るものだからだ。」
2.約束組太刀と実戦の強さは必ずしもリンクしない
ここにおいて、稽古で行う約束組太刀が、それだけでは実は強さとは関係ないことに気づく。簡潔に言えば、「どんなに約束組太刀がうまくても、強いわけではない」ということだ。約束の上に成り立つものがいかに磨かれていても、変化をしない攻撃をさばくだけの技術は、種明かしをされない手品と同じだからだ。鮮やかに見えるのは約束の上に成り立つからであって、実戦の強さとはリンクしない。あるいは実戦までいかないスパーリングであっても、やってみれば、自分の技がそのままでは使えないことは誰が気づかなくても自分が一番わかるだろう。
鵬玉会フルコンタクト居合ルールの自由組太刀。鞘の内から始まり「当たれば負け」が基本。しかし、瞬間の返しがあれば相打ちとして一本とならない。ただしあくまでも「居合技」に拘るため、二の太刀、三の太刀と続く場合は、一度仕切り直す。
3.実戦では、自分の思い通りのコンビネーションは通用しない
鵬玉会では、約束組太刀の先に、動きと技を組み合わせたコンビネーションも確かに学ぶことができる。それは基礎を躰に覚えこませる上で重要ではある。しかしそれでも実戦では、自分の思い通りのコンビネーションはまず通用しない。抜刀さえ容易に相手が許さないことに気づく。ここにおいて約束組太刀とは違うことを思い知る。相手の出方、反応を瞬時に読み、その上の反応をする「目」が要求されることを理解する。実はそれこそが実戦では必要な事なのだ。
実戦の組太刀は実に単純な動きの組み合わせでありながら、相手の動きによって無限に変化する。その一瞬の攻防で生き残りたいならやるべきことははっきりしている。
目を養え。
そのトレーニングなしに居合は武道たりえない。その信念で鵬玉会は研究を続けるのだ。
京都武徳殿での鵬玉会の形試合全国選手権大会の様子。試し斬り、組太刀につながる「斬れる居合」としての形を追求する。
第3回 鵬玉会杯 自由組太刀「H1」決勝戦
本記事に関するご意見やお問い合わせ、鵬玉イアイ年鑑2019のお求めは、国際居合道連盟 鵬玉会 様に直接ご連絡ください。
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全国どこでもONLINEで稽古できます。しかも楽しい!
ONLINE!通信教育「鵬玉居合スクール」WEB
※本記事は、発行元の許可を得て掲載しております。また記事の内容は、寄稿頂きました鵬玉会 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。
1.実戦こそ、すべての武道を貫く核心であり、生命である
後に、世界最大の武道団体となった極真空手の総裁、世紀最大の武道家 故 大山倍達 総裁が「自由組手」の声をあげられたことが、武道の現代における革命の狼煙となった。「実際に当ててみよう。ひょっとしたら効かないかもしれない、言われるような攻撃と防御のパターンにはならないかもしれない、相手が当たる寸前に思ってもみない防御をするかもしれない」
そこから始まり、異端、邪道とされた、極真空手。しかし、今はどうだろう? かつての異端は現代の王道となった。邪道とされた実戦空手の声は、今や空手の世界では当たり前の本流である。大山総裁はこう言われた。「実戦こそ、すべての武道を貫く核心であり、生命なのである。だから実戦から遊離したり、これを放棄する武道は武道と呼ぶに値しない。」
居合の命とは・・・
その武道についての哲学は、おそらくどんな武道についても変わらない、不変の真理に違いない。
今や、約束の上にしか稽古しないような武道でも、かつて強かった人がいたはずだ。だから今も残っているのであろう。止まれ。あなたの居合は「強さ」が根幹にあるか。私の居合に「強さ」はあるか。
強さが実戦性を意味するなら、はっきりしていることが一つある。武道の根幹が「強さ」にあるなら、居合の命は「組太刀」と「試し斬り」である。約束組太刀の動きから身につけ、サイドやバックを取る、その無外流の特長に気付くまで研究をしてみよう。鵬玉会の自由組太刀の「強さ」を最終的に追い求め、形通りに斬る試し斬りの「抜き打ちの初太刀」にこだわってみよう。「居合の本義は抜刀の一瞬にあり」なのだから、二の太刀、三の太刀は居合ではない。それは遊びであって、私達にとっては意味がない。
鵬玉会のその姿勢にブレがないのは、その哲学があるからだ。私たちの無外流は武道なのだ。
抜き打ち座技 横一文字 畳表一畳は置かれただけで固定はされていない。無外流 新名宗家は昭和58年以来「ゴタクはいらない。この試し斬りをできたら、そのとき話を聞いてやろう」と言い続けている。
What is 「斬れる居合」?「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
1.実戦は、2つに1つの選択の積み重ね
無外流における真剣勝負、実戦組太刀の攻防は無限である。相手が斬ってくるのか、突いてくるのか。その刃筋、あるいは間合、またはタイミングによって無限、自在に変化する。かつて極真空手において「ケンカ十段」とうたわれた芦原英幸師範の言葉を借りるなら、「だからといって真剣勝負は複雑ではない。要は相手の一瞬の動きを見極める事によって、右に動くか左に動くか、
前に出るか退がるかといった、いくつもの動きの分岐点で2つに1つの選択の積み重ねで成し得るものだからだ。」
2.約束組太刀と実戦の強さは必ずしもリンクしない
ここにおいて、稽古で行う約束組太刀が、それだけでは実は強さとは関係ないことに気づく。簡潔に言えば、「どんなに約束組太刀がうまくても、強いわけではない」ということだ。約束の上に成り立つものがいかに磨かれていても、変化をしない攻撃をさばくだけの技術は、種明かしをされない手品と同じだからだ。鮮やかに見えるのは約束の上に成り立つからであって、実戦の強さとはリンクしない。あるいは実戦までいかないスパーリングであっても、やってみれば、自分の技がそのままでは使えないことは誰が気づかなくても自分が一番わかるだろう。
鵬玉会フルコンタクト居合ルールの自由組太刀。鞘の内から始まり「当たれば負け」が基本。しかし、瞬間の返しがあれば相打ちとして一本とならない。ただしあくまでも「居合技」に拘るため、二の太刀、三の太刀と続く場合は、一度仕切り直す。
3.実戦では、自分の思い通りのコンビネーションは通用しない
鵬玉会では、約束組太刀の先に、動きと技を組み合わせたコンビネーションも確かに学ぶことができる。それは基礎を躰に覚えこませる上で重要ではある。しかしそれでも実戦では、自分の思い通りのコンビネーションはまず通用しない。抜刀さえ容易に相手が許さないことに気づく。ここにおいて約束組太刀とは違うことを思い知る。相手の出方、反応を瞬時に読み、その上の反応をする「目」が要求されることを理解する。実はそれこそが実戦では必要な事なのだ。
実戦の組太刀は実に単純な動きの組み合わせでありながら、相手の動きによって無限に変化する。その一瞬の攻防で生き残りたいならやるべきことははっきりしている。
目を養え。
そのトレーニングなしに居合は武道たりえない。その信念で鵬玉会は研究を続けるのだ。
京都武徳殿での鵬玉会の形試合全国選手権大会の様子。試し斬り、組太刀につながる「斬れる居合」としての形を追求する。
第3回 鵬玉会杯 自由組太刀「H1」決勝戦
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1.実戦は、2つに1つの選択の積み重ね
前に出るか退がるかといった、いくつもの動きの分岐点で2つに1つの選択の積み重ねで成し得るものだからだ。」
2.約束組太刀と実戦の強さは必ずしもリンクしない
ここにおいて、稽古で行う約束組太刀が、それだけでは実は強さとは関係ないことに気づく。簡潔に言えば、「どんなに約束組太刀がうまくても、強いわけではない」ということだ。約束の上に成り立つものがいかに磨かれていても、変化をしない攻撃をさばくだけの技術は、種明かしをされない手品と同じだからだ。鮮やかに見えるのは約束の上に成り立つからであって、実戦の強さとはリンクしない。あるいは実戦までいかないスパーリングであっても、やってみれば、自分の技がそのままでは使えないことは誰が気づかなくても自分が一番わかるだろう。
鵬玉会フルコンタクト居合ルールの自由組太刀。鞘の内から始まり「当たれば負け」が基本。しかし、瞬間の返しがあれば相打ちとして一本とならない。ただしあくまでも「居合技」に拘るため、二の太刀、三の太刀と続く場合は、一度仕切り直す。
3.実戦では、自分の思い通りのコンビネーションは通用しない
鵬玉会では、約束組太刀の先に、動きと技を組み合わせたコンビネーションも確かに学ぶことができる。それは基礎を躰に覚えこませる上で重要ではある。しかしそれでも実戦では、自分の思い通りのコンビネーションはまず通用しない。抜刀さえ容易に相手が許さないことに気づく。ここにおいて約束組太刀とは違うことを思い知る。相手の出方、反応を瞬時に読み、その上の反応をする「目」が要求されることを理解する。実はそれこそが実戦では必要な事なのだ。
実戦の組太刀は実に単純な動きの組み合わせでありながら、相手の動きによって無限に変化する。その一瞬の攻防で生き残りたいならやるべきことははっきりしている。
目を養え。
そのトレーニングなしに居合は武道たりえない。その信念で鵬玉会は研究を続けるのだ。
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第3回 鵬玉会杯 自由組太刀「H1」決勝戦
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