柔剣雷心会は古武道の研究会として、居合・剣術・体術・杖などを稽古しています。それぞれの武術を「古武道」として捉え、それぞれに共通する身体と間の使い方を学び、剣を活かす稽古を志しています。今回は柔剣雷心会 永野様に、居合をする上で大切なことをお伺いしました。
剣主体従
1.柔剣雷心会とは
柔剣雷心会は古武道、古武術の研究会です。特定の流派の型を追っていくのではなく、刀を扱う際に最も有効な身体、その使い方を学んでいっています。侍がやっていたことではなく、やろうとしていることを目指すが初期の時からのテーマです。
そして、日々の稽古では、素手であれば体術、剣を持っていれば剣術、鞘に納っていれば居合。
身体の使い方は全く同じとしてこの3つを学んでいく中で、居合は刀が鞘に納っている分、鞘から刀を抜くという動作が入るため、より高度な身体動作や感覚が必要になってきます。それは、身体の軸、柔らかさ、間と中心感覚。その為に体術、剣術で身体の捌き、柔らかさ、間の感覚を身につけ、居合術の深奥さに進みます。
2.軸を立て 楽な自分を
まず、身体の軸についてです。
軸を立てるために肩幅に足を開き、丹田を意識して、自分の身体の真ん中に棒が縦に突き刺さっている感じをイメージします。それは下は地に潜り、上は天に届くかのように。そして肩の力を抜いて、楽に真直ぐに立つのです。
力を抜いて軸を立てることで自分に余裕が産まれ周囲への視野が広がります。
3.柔らかさが産み出す速さ
剣の世界で身体操作は難しいものは要求されません。なぜならば道具である剣がメインで、それを無駄なく早く目標に動かすことなので、自分の身体はいかに余計なことをしないかに尽きます。その為には力を抜くことが必要です。
具体的には次の通りです。
『膝を緩め 足は固めない』
『肘は緩め 腕も楽に』
『人や道具を持つときは 握り込まず、柔らかく かつ しっかり』
硬さは動きが遅れ、固さはぶつかり合いを誘発します。
『やわらかく やわらかに』
この柔らかさが真の速さを産み出します。
4.間と中心感覚
軸と柔らかさが、稽古に臨む準備体操としたら、実際に武術に必要とされる感覚が間と中心になります。
間には、時間、空間、距離、意識などが含まれます。
日常生活でも 間を使う言葉は多く、間を取る・間が合う・間が抜ける などです。
日本人的な独特の世界観とも言えます。
間の感覚を養い、いかに活かすのかが武術に求められています。
ですが、この感覚は明瞭に説明しにくいところもあり、曖昧でもありますが、それを絶対的な感覚に育てる必要があります。
時間の間 → タイミング的な感覚 |
距離の間 → 間合であって相手との距離を測る |
空間の間 → 位置や状況を利用 |
意識の間 → 相手の意を察知 |
間とは、対象(人・場・状況など)に対して、所謂、『やり取り』になります。それは一言で呼吸とも言えます。
中心感覚は、自分の中心(点・線)は、譲らず、相手の中心は、抑える感覚です。
中心は、抑えられると動きを止められるます。また、下の居合演武の写真でも分かるように自分の中心は、どんな時も護ってます。
5.鞘の内 抜いて抜かず
居合を学んでると『居合の勝負は鞘の内で決まる』『刀は抜かずに勝つ』と、よく語られる言葉を耳にします。
これは刀を抜かないで争いを治めることを顕すと言われていますが、抜く必要がなくなるのは自分の力量が相手に伝わる。これにより相手は抜けなくなるということです。つまり”抜かずに抜いている”ことになります。
間と中心感覚がこれを作ります。
そして、居合は対人であることを忘れがちです。仮想敵は高い力量の可能性も動き回る可能性もあります。自分都合の物理的な速さではなく、物をよく斬れるわけでもなく、カッコ良くでもなく。相手を抜かさずに抜く。そこに真の速さがあると考えてます。
6.剣主体従
居合のただ速く抜くことは、正しい稽古を積み重ねれば誰でも出来ます。指導者がきちんと教えてれば、速さに差が出るわけないものです。
差が出るのは『間』の感覚です。
前述した通り、居合では『相手を抜かさず、自分は抜く』。そこに差というか、居合の力量が出ます。
それには、『抜こうと思って抜いていること、それ自体が既に遅いので、思った時に既に抜いてる感覚』すなわち『当意即妙(即座に、場に適した機転を利かせること)』であり、また、そのシビアな感覚を研ぎ澄まし、剣を最適に扱うために『自分が剣を扱うのではなく、道具である剣が主で、剣を扱う自分(身体)が従』にしていきます。
剣の声を聴き、剣の行きたい道に委ねること。それが私が常日頃から心がけている居合です。
真の抜刀の速さ! 抜かさずに抜く! 神速居合
関連リンク
柔剣雷心会 紹介ページ
柔剣雷心会 公式サイト
※本記事は、発行元の許可を得て掲載しております。また記事の内容は、寄稿頂きました 永野柔心 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。