居合道 道場案内所 



何十年経っても脳裏に焼き付いている、一度見たら忘れられない居合の演武。そんな居合の演武を見たことがありますか?

「武道としての合理的な居合」を重視した指導で定評のある山 正博やまさき まさひろ 氏が忘れられない居合演武は、80歳に近い三谷義里みたによしさと先生の力強い居合の演武だそうです。

今回は、山氏が剣道の師から学んだ「日本剣道形にほんけんどうがた」の重要性、そこから導き出した「気体剣の一致した居合」、そして忘れられない居合演武について、剣道日本 2009年2月号、3月号に寄稿された「私が求める居合道(上・下)」を本人監修の上、再編して紹介します。

掲載の都合上、一分内容を割愛して転載をさせていただきます。記事転載をご快諾いただきました剣道日本に感謝申し上げます。




感動を与える居合を目指して


ー 無限館 館長 山正博 著


1.剣道と居合道の始まり


剣道日本 2009年2月号 私の求める居合道(上)私の父 山康吉やまざきやすきちは高知出身で大江正路おおえまさじ先生の直弟子でした。戦前、兵庫県の警察に勤務し、乞われて高知に伝承され大江先生が編纂へんさんされた直伝土佐英信流じきでんとさえいしんりゅうの講習会、兵庫無相会むそうかいの講師を務めました。直伝じきでんを学ぶ大阪の八重垣会やえがきかいよりも1年早い講習だったそうです。

敗戦ののちの6年後にお兄だけ神戸に残して、中学2年生の私は父と二人高知に移り住みました。戸外で素振りや刀の形を父の命令でやらされましたが、剣道、居合道に限らず生活全般にわたって全てが命令調であり、それらのことに対する私の反発もあって、私は中学を出ると神戸の兄のもとに身を寄せました。高校を終えてから、須磨駅前で幼友達の福原康晴ふくはらやすはる(2020年現在、居合道教士八段、剣道教士七段)とばったりとあって、須磨警察の剣道道場に誘われたのが、20際の頃。こうして剣道と居合道の稽古が始まりました。

それ以来、仕事の都合で静岡に移り住んでからも稽古は続き、六段となって全日本大会の県代表ともなり、静岡無相会を立ち上げました。六段から七段と連続14回県代表となり、三度目の挑戦で八段になりました。50歳で居合道八段、剣道七段(38歳)。しかし、今になればこの頃は身体を鍛え、技を身につけるためだけの稽古でした。

2.日本剣道形は剣道の本質


昭和の終わりの63年(1988年)、静岡の伊豆高原に剣道・居合道の道場を併設するスポーツの宿「無限館」を開き、そのすぐあとに居合道八段を拝受しました。剣道もそのころ教士七段で、当然、日本剣道形も真剣に稽古をしていました。

しかし、この剣道形が日本人の精神思想を表しているということなど、このころは知りませんでした。また、禅や能との深い結び付きがあり、武道の鍛錬は、心の鍛錬でもある、ということを私に教えてくださったのが井上 義彦いのうえ よしひこ先生でした。剣道範士である井上先生は、当時、全日本剣道剣道連盟の剣道形部会部長であろ、静岡の剣道会の指導者の一人でもありました。

剣道日本のインタビューに答える山先生井上先生は日本剣道形を推奨するわけをこう言われていました。大正初期に中等学校に剣道が正課として採用されるにあたり、形稽古を取り入れ、そのなかに日本の伝統的精神文化を盛り込むべく大日本帝国剣道形三本が文部省主導で、四本目以降は武徳会が考案制定したものだそうです。剣術の歴史を振り返ってみると、生きるか死ぬかの闘争の術を示すものがかたでしたが、刀での戦いがなくなり平和な時代となった江戸中期以降になると、次第に形稽古は形式に流された華法剣法かほうけんぽうで、畳の上の水練とまで酷評されるほどのものになりました。「極まれば通ずる」のたとえ通り、この頃に気力を充実させて、実際に打ち合う竹刀による剣術が考案され、やがてそれが主流となったそうです。そこまではよかったのですが、時代の経過に従い、竹刀防具による修練は命に別状がないので、殺伐的色彩が濃厚となっていきました。

戦後復活した剣道は最初にはっきりとスポーツということを土台にしたために、人間形成という内修面を忘れ、当てっこ剣道の酷評そのものとなってしまいました。それを是正すべく剣道の本質の形象化である剣道形の奨励に取り組まれたとのことです。

しかし、多くの人たちが演ずる剣道形は、たとえば一本目の打太刀うちたちが正面を打ち込むのを仕太刀したちが体を大きく後ろに退いてこれを外して、打太刀うちたちの正面を打つ、という順序だけを踏むような形稽古でありました。これでは形稽古の意味がない、というのが井上先生の持論でした。

打太刀は相手に隙があれば、どこを斬り込んでもかまわない。仕太刀はどこを斬り込まれてもこれに対応できる態勢でいる。打太刀は仕太刀の正面に斬り込む、その斬り込みをパッとはずし、仕太刀が撃つ。形稽古はかたちと約束の順序を間違いなくこなせばそれでよし、というものではないのです。

全日本剣道連盟 剣道形の一本目「太刀の形」
全日本剣道連盟 剣道形の一本目「太刀の形」(全日本剣道連盟 Youtubeより)


井上先生から聞いた話で、大正14年に文部省の役人が剣道形をどのような主旨で依頼したのか、という内容を思い出したので、追記します。

文科省が大日本武徳会に依頼したのは「教育的配慮を持った剣道形」の制定でした。そして依頼された先生方が創作し、以下のような精神をそれぞれの技に込めたのでした。

一本目:初心は相手を打ち砕く精神と体力の向上の促進(攻撃の精神)
二本目:更に向上することにより、相手を打ち砕くこと無く留める(相手を諭す精神)
三本目:殺傷的に見えるが、喉元で止め、殺さない、相手に生きる喜びを説いている(命の尊厳)

大太刀の形 四〜七本目と、小太刀の形 三本は、日本剣道形が一般の剣道人に普及しだし、物足りないとのことで追加したと聞き及んでいます。小太刀三本は大太刀三本目の意義にて創作したそうです。

単に演武するための手順を覚え、試験のときだけに演武するのではなく、その形の持つ意味合いを知ることにより、剣道の本質を理解し、普段の稽古に活かすことが重要なのです。

3.かたは生き物である


さらに、重要なものが残心ざんしんです。いかなる状況、理由にしても人間が人間を殺す。これは罪の中でも最大の罪です。居合術中興の祖ちゅうこうのそ(江戸時代初期)、林崎甚助はやしざきじんすけの教えの言葉にこうあります。

「いかなる大罪人に遭遇するとも、刀を抜くな、抜かせるな、斬るな、斬らせるな、殺すな、殺されるな、よくよく説諭せつゆして詮方せんかたなくば袈裟打ちけさうちかけて成仏せしめよ」


これが人間性向上につながる残心なのだが、それを等閑 とうかん(大事なことを考えないで、いい加減に扱うこと)にしているのが、現今げんこんの剣道・居合道などで、これを剣道形によって是正したい。これが井上先生のお考えでした。

私がふだん訴えるようになったのは、こうした井上先生の薫陶くんとうを得たからです。制定居合教本・審判規則・審査規則の三位一体さんみいったいにさらなる剣道形の精査せいさと剣道形奨励を願うようになりました。

剣道・居合道修練の究極の目的は卑近ひきんな言葉で云うと「打たない剣道」「斬れない居合」、とあまりにも表面的なことの指導が蔓延しています。いわゆる、無住心剣流むじゅうしんけんりゅう 針ヶ谷夕雲はりがやせきうん(徳川初期の人)の
相抜あいぬけ」であり「共に生きる」よろこびの内奥ないおうを知り指導すべきものが、現在の剣道・居合道の目的だと思います。
これこそが、まさに現在の「剣道の理念」に順序すべきものであります。

井上先生に就いて剣道形の勉強をする中で、これは居合の稽古ではないか、と思うようになっていきました。かたは生き物で、剣道形はの修練で、臨機応変の生きた対応こそかたの生命である、と井上先生は強調されます。打つ部位は約束事であって、剣道形を打つときの心得や技量は、どこからでもかかってこい、どのようにも応じるーーー千変万化せんぺんばんかの応用である、といった剣道形への認識は、私自身の居合への取り組みを変えていきました。

4.生きたかたの追求


仮想敵を想定していても、空間を切っているだけではないか。根本的なことを勉強しなければならない、と思い始めました。そして、父がよく口にしていたことを思い出しました。

「直伝でなぜ納刀のうとうが三通りあるのか。大江先生が土佐英信流の兵法を後世に伝えようと編纂へんさんに取り組まれたときは、すでに刀での戦いは終わっていた。刀での自己鍛錬は精神を鍛えるためであり、刀を使う上でもっとも傷つくのは納刀である。大森流おおもりりゅうはばきから入れ、長谷川英信流はせがわえいしんりゅうは中ほどから入れる、奥伝になれば、切っ先に近ければ近いほどに瞬間に入れる、いずれも精神を集中させ心して修行させるためだ」


父はそう言い残したのです。

かたちのみではなく、生きたかたとして、「なぜこうなるのか」を追求しなければならない、と思うようになりました。

5.居合道は「気・体・剣き・たい・けんの一致」



剣道日本 2009年3月号 私の求める居合道(下)居合道の審判法第七条6項に審判員の審査基準として「武道としての合理的な居合」を求めることがうたわれています。

合理的な居合とは、修練によって無駄、無理、ムラ、ムキをいかに少なくしているか、ということでもあります。例えば全剣連居合の一本目「前」で、「つま先立て、静かに両手を・・・」とありますが、ある程度修練を積んでくれば、「つま先立て」という言葉は必要なくなるでしょう。刀を抜くのに「これから抜くぞ」と宣言するような行為は、敵対動作として無駄なものとなっています。

居合の修練は、高段位ならば術技じゅつぎと理論の一致を心がけた稽古でありたいものです。「なぜこうなるのか」の追求は、例えば鞘引きと抜き付けを作用と反作用で捉えていけば、右手より、鞘引きをする左手に七割の力でのスピードをかければ、刀は自然に飛び出していきます。かたの動きを文章では一、二、三と説明されていますが、その追求が技の動きを変える。だから、緩急かんきゅう、強弱、に、その人なりの味が出てくるのです。

剣道で大切なのは「気剣体き・けん・たい」の一致ですが、居合道の場合は「気体剣き・たい・けん」であると私は考えています。気が体を動かし、剣が走っていく。気が充実しないと体は出ていかない。体が出れば自然に刀が出る、これは自然の法則です。

刀は触れれば切れるものですから、速さのみを追求する必要はありません。それよりも、相対するものを萎縮いしゅくさせる一刀いっとう研鑽けんさんすることが肝要かんようと思います。公開演武では、いかに気を高められ、相手を萎縮いしゅくさせるような一刀いっとうを出せるかを心がけています。

そのために成すべきは、しっかりとした自分の体作りです。とくに居合を抜くための土台づくりとして、下半身をいかに鍛えていくかを課題にしてきました。下半身を強固にしていかなければ、刀法とうほうの激しい動きに体の軸がぶれてしまいます。軸がぶれてしまえば技にはならないし、刀が生きてきません。下半身を鍛えることを怠れば、たとえ抜き付ける刀のスピードが速くとも、軸がずれてしまい、体が持っていかれてしまうことも考えられます。

極端に言えば、居合は技三分さんぶ(3割)、基本の体作りが七分ななぶ(7割)です。鍛えた下半身に「気体剣」の一致が整えば、抜き付けた刀、切り下ろした刀はビッシと止まります。この「止まる」というのは決めるではなく「きわめる」ということです。

6.私の求める居合とは


鍛錬を積んだ歳月の重みというもを、目の前にして感動した忘れられない体験があります。
第14回 全国居合道大会が神奈川県の箱根でありました。範士の先生方の演武で目の当たりににした三谷義里みたによしさと先生の「八重垣やえがき」。もう80歳近い小柄な老先生の立ち上がって切り下ろす一刀の勢い、その凄い居合に衝撃を受けたのです。(執筆当時)30年以上も前のことですが、あの衝撃的な姿は今も脳裏に焼き付いています。

到達点のない居合道修練の日々、三谷老先生のような衝撃を与える技には到達できないでしょうが、うまい居合ではなく「いい居合だなあ」と言われるような居合を目標としていきたい。また「居合道の価値観」を問われれば「人に感動を与える演武」を生涯の究極の目的としたいと思っています。




山正博 氏による京都武徳殿での演武





静岡無相会の道場紹介ページ

伊豆高原 スポーツの宿  無限館

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※本記事は、発行元である剣道日本、そして執筆者ご本人からの許可を得て掲載しております。また記事の内容は、寄稿頂きました山正博 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。


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