釣りのベテランが偶然手にした日本刀をきっかけに、居合道の奥深さに魅せられ、現在は指導者として活躍されている明心館道場 岩城 照幸 様に「居合の面白さ」についてお伺いしました。
釣りから居合へ:刀剣愛好家が辿り着いた古流居合の奥深さ
1. 刀との出会い
私は30年以上釣りが趣味です。魚料理も好きでMy包丁は8本も持っております。また船上で魚を締めますので、ナイフも20本近く魚に合わせて所持しております。包丁やナイフも実用一点張りではなく、見ていても美しいものが好みなのです。
ある時、妻の実家から錆びた日本刀が数振り出てきて、私が管理を任されました。錆びついた状態では見劣りするため、大阪市内の大手の刀剣商に持ち込み、研いでもらい、その時に初めて日本刀の美しさを知りました。
日本刀は、古刀の反りの優美さや地金の鍛錬具合、映りの有無、刃紋の働き具合や見事な刀装具など素晴らしい美術品です。また製作年紀の入っている刀を見ていると、その時代背景が考察され興味が尽きないものでした。釣りではないですが、美しい刀を持ってみると、今度は剣術を学んでみたい欲望が出てきました。
2.後進指導で感じた壁
丁度勤めていた会社をリタイアしたことと、釣りの筋力を維持する目的もあり、腕力と足腰を鍛えられて自分のペースで鍛えられるスポーツはないかと探しましたら居合が目に入りました。
当時は武道とスポーツの区別もついておらず、汗顔の至りですが、特に深く考えることなく、駅に近い居合道場に入門致しました。
最初2〜3年は業を覚えるのに必死で「まあ五段くらいになると居合も卒業かな」と思っていたものでした。五段になり、後進の人(自分よりも後にその道に入った者)に業を教えるようにもなりましたが、後進の人から正座の「前」の横一文字の抜き付けで「半身で抜き付けたほうが切っ先が遠くに届くので正しいのではないですか?」と聞かれますと「先生からこう習っている」「それは下村派の抜き付けだから」と弁明するような言葉を述べたり、「この業は何故こうした動きをするのか?」などと、先師から教わった理合では説明できない事に悩んでおりました。
3.未知なる世界への扉が開く
その中で英信流古流の記述があり、初めて江戸時代の英信流古流があることを知りました。その後、ネットで曽田本(土佐英信流の原点である「神伝流秘書」を写した曽田メモ)を解説した「みつひら」氏のブログを拝見して「眼から鱗」状態になりました。
また道場の先達の遺品の中に木村 栄寿著「無双神伝重信流」があり、内容的に同じものでした。いずれも英信流9代宗家である土佐藩士 林 六太夫 守政の口述を、英信流10代宗家の林 安太夫 政詡が執筆したもので、内容的に正しいと思われます。
業の詳細を見てみますと、一人居合(現在我々が行っている居合)が初伝、組太刀(太刀打・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取・小太刀)が中伝、棒術・和・小具足が奥伝と現在一般的に「英信流」として伝わる業の三倍以上です。英信流は総合武術と言われますが、江戸時代は順を追っての教育プログラムになっていたんですね。
4.流派を超えた探求
驚くのは居合の業だけでなく、大剣取の中には立合の高度な技も含まれています。
神伝流秘書の中で「口伝の秘技は雷電・霞」と記されており、具体的な動きが判らない業があったのですが、他流の中にその秘技がありました。
伝書の業名の中に「真之心陰兵法目録」とあり、新陰流の上泉 信綱の四天王の1人である奥山 公重の流派なのですが、現在はその技を知る術がないので、同じ系統の柳生新陰流を調べますと、春風館 関東支部の赤羽根 龍夫先生監修のDVDにある天狗抄・乱剣がその業であることが分かりました。現在はネットが発達しているのでこういう情報が得られるのは有難い限りですね。
そうすると新陰流の業が何故、土佐英信流に取り込まれていったのかが大きな謎ですが、これは林 六太夫 守政と剣の師であった大森流を創始した新陰流の大森 六郎左衛門との関係がキーポイントになりそうです。
信濃(現在の長野県)に和術を広めた無双直伝流 第8代宗家・荒井 勢哲と奥三河(現在の愛知県)出身の奥山 公重と関係があったのか、興味があるところです。
この「神伝流秘書」により、今まで説明できなかった業のルーツや作法がわかるようになり、後進への説明がしやすくなり大いに助かっている一方で、私自身もまだまだ奥伝まで到達していないレベルであり、間合いを見切る為の長物(槍・薙刀・棒・杖)の練習として、昨年から杖を一から学んでいます。
5.指導者として
こうして書いてみますと我ながらオタクっぽい文章になってしまいましたが、居合をやる方の興味は、「始める時」と「一通りの業ができるようになった時」だと思います。
始める時の動機は様々だと思いますが、業界として居合の認知度を上げる努力が必要でしょう。最近はYouTubeも認知度が高いので、私たちもできるだけ露出を上げたいと思っています。
また稽古も師匠から弟子に「指導する」というような目線でなく、一緒に楽しく練習する考え方に変えていく必要もあるでしょう。
二番目の「ある程度刀を抜けるようになった時」ですが、これは次の目標が見えなくなっている事に尽きると思います。その為には指導する立場の人間がもっと勉強して後進に道を示せるようになれば良いですね。
大剣取の無剣の稽古風景。指導するというような事ではなくて、一緒に稽古するというスタイル
武蔵一之宮・氷川神社での演武
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※記事の内容は、寄稿頂きました 岩城照幸 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。