居合道 道場案内所 

剣術・居合術

剣術とは「剣を使い相手を斬り倒す術」であり、居合術は「もしこんなケースだったら、剣を使って相手をどう倒すか」という術です。つまり「剣を使って相手を倒す」という広義の意味においては、居合術は剣術の一部に含まれます。

形の上で説明をするならば、剣術が「刀を抜いて対峙した状態で相手をどう倒すか」というところに主眼点を置いていますが、居合術は「刀を抜いて居ない状態のときに襲われたり、または刀を収めている状態の時に相手を襲うとき、どうするか」というところに主眼点を置いています。つまりその場に『居合わせたとき、どうゆう術(すべ)があるのか』というのが居合術です。

例えば「道を歩いていたら、いきなり斜め前にいる敵が斬りつけてきた。でも自分はまだ刀を抜いていない。」というような想定です。このような咄嗟の判断が求められるようなケースを普段から想定することで、自分の身を守る方法を訓練をする技が居合術です。

故に昔は、「剣術は表技(おもてわざ)、居合術は裏技(うらわざ)、両者表裏一体」として、各剣術道場で門外不出の技として居合術は稽古・伝承されてきました。


剣術の立会い

居合術の立会い

「術」と「道」

現代において、道を歩いていたら、いきなり刀で斬り付けられるようなケースは、殆どないでしょう。 では現代において「剣術・居合術」「剣道・居合道」を稽古することには、どんな意味があるのでしょう。
「居合」と「居合」という2つの言葉は、区別して使われています。

「術」は、選択肢の意味を持つ「すべ」(何々をする術)の他に、「技術」の「じゅつ」という意味も持ちます。つまり「やり方」です。「居合術」と書いたならば、それは上述した「”その場に居合わせたときどうするか”という技術面」を指しています。 現代において、剣術・居合術が現実の場面で役に立つことは少ないと思いますが、少なくとも「稽古」を通じて「体力・気力・反射神経・健康な肉体」など得られるものは多いでしょう。

一方で「道(どう)」は、「道路」つまり「みち」です。どんな道かといえば、それは「人生の道」を指します。 稽古をすることで、人生の道を通る過程を通じて、相手を尊ぶ、礼節をわきまえる、健康な体を鍛える、剣道や居合道を通じて歴史を学ぶ、など何かを学ぶのです。
「道路」というからには、そこには目的地があります。目的地を指し示すのは、その道場の「師範」です。皆さんはその師範が示す道を通じて、何かを得ようとするのです。

何を目指し、「術」を選択するのか、「道」を選択するのか、それはあなたの自由です。

居合や抜刀の組織

明治時代か太平洋戦争 敗戦までは『大日本武徳会』という組織が、剣道・居合など武道全般を統括していました。

戦後GHQにより大日本武徳会は解散し、一時武道が禁止となりましたが、先人の活躍により『全日本剣道連盟』・『全日本居合道連盟』などの組織が誕生しました。 設立当初の全日本剣道連盟は剣道のみでしたが、しばらく後に剣道連盟内に居合道部会が設置されたことにより剣道連盟でも居合が行われるようになりました。 現代では全日本居合道連盟、全日本剣道連盟などいくつかの統括組織があり、それぞれ独自に活動しています。

道場に入門する前に

居合・抜刀は「技能」の世界なので、『師弟関係』が非常に重視されます。
例えば初めに入った流派から別の流派に転向することは『流派換え』と言われ、非常に難しいことがあります。

したがって入門する前に複数の道場を見学させてもらい、納得をした上で入門することをオススメします。

なお居合道 道場案内所では、公平を期す為に、個別に『このサイトがオススメです』ということはしておりません。
各組織・各流派・各道場でそれぞれに考え方があり、何を持って良しするかは、ご自身で判断をお願いいたします。

共通して言えることは、「剣術・剣道」「居合術・居合道」「抜刀術・抜刀道」など何を習うにしても、一朝一夕で身につくものではありません。時間的・金銭的・体力的など総合して長く続けられることが重要でしょう。

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