2019年11月末、居合道 道場案内所の問い合わせフォームから京都豊剣会に一本の問い合わせが送信されたのが始まりでした。その内容はフランス在住のOuvrardさんが2020年3月の来日予定に合わせて、京都豊剣会で稽古をさせてほしい、という内容でした。残念ながらコロナウィルスの流行により2ヶ月の滞在期間は、わずか2週間という短期間で切り上げざるを得ませんでしたが、その短い期間は彼にとって掛け替えのない思い出となったようです。Ourvardさんがどのように居合と出会い、何に惹かれて、今回来日してまで稽古をしたいという思いに至ったのか。彼の人生紹介と併せてお読みください。
私の武道人生 合気道と居合道
1.自己紹介
私は現在、フランスのブロア(Blois, France)という街で居合道・合気道を教えています
1976年に大学で合気道と養正館武道(合気道、空手道、居合、杖術などをひとつにした総合武道)を始めましたが、大学卒業後にフランス国鉄の社員として働き始めてから、両方を続けることは難しく、1986年からは合気道のみに絞りました。
その結果、現在の妻に出会い、2人の子宝にも恵まれ、63歳の現在は居合道と合気道を教えながらガーデニングを楽しんでいます。彼女は合気道三段の腕前で、子供たちに合気道を指導しています。
2. 居合との出会い
居合道の稽古をしていく中で、「自分自身を磨く努力をすること」「今を生きる事」「シンプルな動きの中に美と効率を見出すこと」など、少しずつアジア人の考えに魅力を感じていくようになりました。このことから15年前から、太極拳と気功、レイキ(手当て療法・エネルギー療法の一種)の修行も始めました。
その頃、私は合気道四段でしたが、合気道を通じて学んだ居合道は技術的に正しくないのではないか、と感じていたので、2010年に居合道のクラブに参加することになりました。居合道クラブでの稽古を通じて、居合道の瞑想的な部分に惹かれ、今もそれが私の武道に繋がっています。
3. 道場について
2013年、私に居合を教えてくれたJo Cardot(ジョー・カード)は居合道を辞め、剣道を始めました。そして私は彼に、彼の道場を継いでくれないかと打診されたのです。その頃はまだ居合道は一級(全日本剣道連盟 居合段位)でしたが、私は彼の頼みを受け入れて道場を引き継ぎ、現在に至ります。生徒は少しずつ増えていき、現在は14人になり、私も居合道二段にまでなりました。
稽古は火曜日の19時半から21時半の週一回、市役所の一部屋を借りて開催しています。生徒達は毎年9月に100ユーロ(約11,000円)を1年分の場所代と授業料として収めてもらっていますが、私自身は教える際にお金は受け取っていません。
私達の道場はFFJDA(フランス柔道柔術剣道及び関連武道連盟)に所属していますので、月に一度、土曜日に、地域の他のクラブの人達とも交流をしています。あまり遠方でなければ週末に体験実習を設けるようにもしています。
フランスでの居合道クラブ
4. 日本へ
2016年に妻と共に日本を15 日間旅行して、とても良い経験をすることができました。さらに日本のことをより知るため、2017 年には合気道クラブのメンバーと共に京都と東京を訪れました。この2回の旅行を通して、私は日本のクラブがどのようなものなにか、ということに興味を持ちました。私の住む地域には居合道の指導者が居なかったので、正しく学び、居合道の技術向上をしたいと思ったのです。
再び日本を訪れるために2年間準備をしました。日本語も1年間かけてじっくり学びました。また何人かのブロア大学に通う日本人学生をホームステイで受け入れたことがあったため、そのうちの一人に京都の居合道道場を手伝ってもらいました。
道場を探してもらうのはとても大変でした。日本で学んだ経験のあるフランス人は少なく、言葉の壁のコミュニケーションが困難であったり、授業費用が高かったり、指導者が見つかりにくいことなどが利用でした。
当初の予定では、日本語学校に通いながら、合気道と居合道を学ぶために2ヶ月間、日本に滞在をする予定でしたが、コロナウィルスの流行により滞在を2週間で急遽切り上げて、フランスに緊急帰国しなければなりませんでした。
実際に滞在できたのは、たった2週間という短い期間でしたが、そのような状況でも今回受け入れてくださった京都豊剣会の皆様には、本当に感謝しております。とても仲良くしていただき、丁寧な個人レッスンもしていただくことができ、新しい発見の連続でした。
今回の滞在は私にとって掛け替えのない経験となりました。私は今回の滞在で学んだことを復習して、またそれを生徒達に教えていこうと思います。
来年の2021年3月にまた日本に行きたいと思っています。そのために私はフランスで日本語の勉強をさらに頑張っていこうとおもいます。
日本語の授業を受けるために。そして豊剣会に戻るために。
(左) 豊剣会 野々村耕二 氏、(中央) Ouvrard氏、(右) 豊剣会 野田 氏
(※記事掲載当初、写真が反転しておりましたことをお詫び致します)
京都豊剣会からのメッセージ
彼に最初に会ったのは、2020年3月7日。まさにヨーロッパでロックダウンが始まる少し前で、日本でもコロナウィルスのニュースが毎日流れているような頃でした。彼は自分をJPと呼んでくれといいました。会ったのは私達が、いつも土曜日に使っていた道場の前で、会う数日前にコロナウイルス対策で使用禁止にされたところです。
事前のメールでのやり取りでは、彼の英語は少し心許ないという情報ではありましたが、私共の懐刀の田波先生の英語力で十分に会話することができました。本国では10人以上を指導しているようで、その責任を自覚しての来日であったようです。
その後道場では、懐刀の田波先生が居る稽古場所では英語でコミュニケーションを取り、居ない場合でも身振り手振りで指導を行いました。同じ課題を追求する者同士ですから、身振り手振りと表情で会話はなんとか伝わったのではないかと勝手に思っております。
彼の二段の実力は、恥ずかしながら私共の仲間の二段より上のように見受けられました。制定居合に限定して伝えるならば、もっと簡単であったかもしれませんが、私達は常々「居合に正解などない」と信じていますので、手の内、骨盤の位置、膝の使い方、使う関節と筋肉の順などを、もう少し時間があったなら、私が勝手に思い込んでいることを伝える事もできたのではと思っています。
彼にお伝えした言葉は最初に「don't believe me(私の言うことは信じないでください)」でした。彼には「私の言うことは信じないでください」と言い続けましたし、彼にとっては幸いであったかもしれません。
世界中に異常事態が広がり、彼が帰国できることを幸運と考えなければならない状況でした。2週間の滞在中も、私達の稽古場所も主要な二か所が閉鎖され、七度限りの稽古でした。少しでも記憶に留めてくれる稽古であったことを願っております。
居合道 道場案内所のからのメッセージ
海外からの来訪者を受け入れる際、多くの場合では言葉の壁が立ち塞がります。それでもOurvrardさんの熱意を京都豊剣会 野々村 様に伝えたところ、快く受け入れていただき、誠にありがとうございます。帰国後のOurvrardさんと当サイトとのメールの中でも、滞在中に大変良くしていただけたことに感謝をしておりました。Ourvrardさんに代わりお礼を申し上げます。
Ouvrardさん、またの来日をお待ちしております。
関連リンク
京都豊剣会 紹介ページ
京都豊剣会 公式サイト
※本記事は、発行元の許可を得て掲載しております。また記事の内容は、寄稿頂きましたOurvrad 様と京都豊剣会 野々村 様の文章を許可を得た上で、編集して掲載をさせていただいております。