居合道 道場案内所 


江戸後期に創流し、近藤家四代目 近藤 勇こんどう いさみが京都で新選組しんせんぐみを結成した事で有名な天然理心流てんねんりしんりゅう。東京で仕事に追われる生活を送っていた中で出会った天然理心流に惹かれ入門し、現在は教師として働きながら、天然理心流も教えています。「教えるは学ぶ半ばなり」。教師として、また道場主として天然理心流を通し、門下生達に何を教えるのか。今回は天然理心流 東北道場 菅原 浩 様にお伺いしました。




剣術の稽古を通して何を学ぶのか


ー 天然理心流東北道場 菅原 浩 著


1.天然理心流てんねんりしんりゅうとの出会い


菅原 浩 氏私は20代の頃、東京での仕事がなかなかうまくいかず、落ちこむ日々の中で何か自分を変えるきっかけを探し求めていました。そんな時に天然理心流てんねんりしんりゅうの門を叩きました。当時の私は、常にものすごいスピードで移り変わる世界で生きていて、物の本質を考える機会やその心も完全に失っていました。その真逆とも言える伝統的な世界を見てみたい。長い間同じ価値観を受け継ごうとする世界に触れてみたい。そんな風に考えていたと思います。

ある時、当時の師に言われた言葉があります。
『君たちの世代は次の世代を育てるのが役目。自分の人生よく考えなさい。本気で考えなさいと。』

その言葉で私の人生は大きく変わり動き出すのですが、将来的には自分を大きく変えてくれた天然理心流を広めて、多くの人に大切な何かを伝えられていけたらという夢を持つようになりました。

2.東北道場の開設


その後、仕事の縁があって岩手県盛岡市に移り住み現在に至りますが、私の入門時からの師でもあった天然理心流てんねんりしんりゅう剣究会の荒川 治あらかわ おさむ先生のご指導とご協力のもと、天然理心流てんねんりしんりゅう東北道場を立ち上げたのは東日本震災後の2013年のことです。震災の時に東北の地で感じた多くのことが、道場開設の大きなきっかけとなりました。東北には天然理心流てんねんりしんりゅうの道場がありませんでしたし、剣術の道場自体がとても少ない。是非東北の方にも天然理心流を学んでいただきたいと思いました。現在、盛岡市内の私立の中学高等学校に勤務しながら、盛岡と仙台に稽古会を開いています。

3.稽古で大切にしていること


私たちの稽古では、準備の大切さ、姿勢、体軸、太刀筋たちすじ刃筋はすじ間合まあい、うちなど武道の基本となることをまずはしっかり稽古しています。剣術を学ぶ上でこれらは一つも欠けてはいけませんし、抜刀術ばっとうじゅつ組太刀くみたちを通して正しい術を体得し、気・剣・体の一致した技になるまで地道な稽古を続ける気持ちと努力が必要です。

武術とは本来、力だけで相手を制するものではなく技で制するものだと思います。
相手の力を受け流し、小さな力であっても相手を倒す。そして、普通の状態、平常心でも発揮できる力というものが大切だと思います。初めは拙い動きで、無駄な力ばかり入るものですが、繰り返し稽古することで少しずつその無駄がなくなっていきます。

そして、刀と刀での真剣勝負では、おそらくバランスを崩された方が負ける。バランスを保つためには身体運用だけではなく精神的なものも勿論影響してくる。稽古が進むとそんなことも感じられるようになると思います。



4.自ら考える稽古


入門した頃はとにかく上手くなりたい、あの技ができるようになりたいなど、まずは自分の決めた目標まで続けようと思う。でもやればやるほどそのゴールが遠く感じるようになる。そう感じたら稽古を続けることの魅力にハマった証ではないでしょうか。深くなった証。そして完成がないことを知るわけです。

私たちの稽古の多くは形稽古です。本当に同じことを何千回、何万回と繰り返します。もちろんその深さはやればやるほど変わりますし、1年目と5年目の人では要求されるものは全く変わってきます。

道場見学者の方によく聞かれるのが、形ばかり学ぶのは何故ですか?という質問です。私が思うに、形というのは「目的へ辿り着くための近道」なんだと思います。そこをどう歩くのか、どの速さで、どのくらいの間合いで、どこに目付けし、どう動くのか。自ら稽古して自ら考えれば考えるほどどんどん奥深くなります。自分で気付いていかなければ自分のものにはなりません。

勿論そこへ導くのは指導者の役目だと思いますが。昨今の学校教育のなかではアクティブラーニングなんて言葉がありますが、古武道の稽古では、もうとっくに大昔からアクティブラーニングだったと思います。

5.稽古のその先に


現代において武の道を歩む最終的な目標は、結局は戦わなくてもよい、争わなくてもよいことと私は考えています。争う状況を作らないこと。わざわざ敵を作る必要はない。敵ができてしまうと争う、戦う、無駄なお金、大切な時間、そして命が失われることもある。力で押さえつけた先には崩壊が待っている。それは全て歴史が教えてくれていると思います。

古武道の心は相手を思いやる優しさ、そして相手の痛みを知ること。今の時代、子供が取っ組み合いしない、喧嘩もしない。小さい頃に痛みを知る機会がない。それで突然とんでもないことをしてしまう。そして心ばかり傷つけ合うことが多い。人の痛みを知っていれば、相手が痛いことはしちゃいけない、傷付けることはしちゃいけないと思うはずです。

そういう意味では昔の人は色々な限度を知ってたような気がします。勝敗が決まるスポーツや武道では学べない、勝ち負けを超えたものを、古武道ではしっかり伝えて行かなければいけないと感じています。本当に古武道の稽古には人生の縮図が全て詰まっていると思います。




6.時代と向き合うということ


天然理心流てんねんりしんりゅうは、流派存続の危機に歴史上何度も向かい合ってきた流派です。幕末の安政あんせいコレラの時も江戸の道場は存続の危機に陥ったでしょうし、明治維新後の近藤系道場はもちろんのこと、先の大戦後も稽古ができなくなった。

そしてその後に、無事に生き残った門人たちが命がけで世のために命を使う機会を得た。そして諸先輩たちが流派を守り残してくれた。その思いを受け継いで後世にしっかりバトンを渡していきたいと考えています。

天然理心流てんねんりしんりゅうの流名は、『天にかたどり地にのっとり、もっ剣理けんりきわめる』ことからと言われています。自然のことわり、天然のことわりに逆らわず、そこで起きるすべてのことを受け入れ、稽古から多くのことを学び、それぞれの人生のかてとする。剣の修行は長いものです。今回のコロナ禍という時勢の今だからこそ、多くの制限はありますが、今しかできない地道な努力で未来に繋げていきたいです。





関連リンク


天然理心流東北道場 盛岡稽古会 紹介ページ

天然理心流東北道場 仙台稽古会 紹介ページ



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