居合道 道場案内所 



戦国末期に生まれた古流剣術・不伝流。徳川家や松江藩に受け継がれ、明治の衰退と失伝を経て、十四世 戸田不伝により現代に復元されました。その四百年に及ぶ系譜と、無駄を排した実戦本位の技術、そして刀と歴史を愛する仲間たちが集う道場の姿を、不伝流剣法 藤原幸衡 様にお伺いしました。

(不伝流の「伝」の字は旧字体が正式ですが、文字化けを防ぐため、新字体で表示させていただいています)



不伝流剣法─古流剣術を正しく後世へと繋いで行くこと


− 不伝流剣法 藤原 幸衡ふじわら ゆきひら

1. 不伝流の歴史


不伝流ふでんりゅうの発祥は遡ること400年以上前の戦国時代末期。同時代の兵法指南・伊東 不伝いとう ふでんによって創始された鹿島新當流かしましんとうりゅうの流れを汲む古流剣術です。

江戸時代初頭、伊東 不伝いとう ふでんの高弟である戸田市左衛門孫市とだいちざえもんまごいちは門人の中で唯一奥義を習得したとされ、師の息女をめとり流派を相続。戸田不伝とだふでんを称します。孫市まごいちの父・七内しちないもまた不伝流ふでんりゅうを修練していたと考えられ、父をも超える技量で不伝流ふでんりゅう宗家そうけを相続したと思われます。

この戸田 七内とだ しちない戸田 宗光とだ むねみつを祖とする徳川家譜代の家臣で家康公からの信任厚く、七千石の幕閣として将軍近侍役きんじやくを職務としていました。孫市もまた卓越した技量から父より家康公の身辺警護として推薦され、その職務を全うしたと伝わっています。

家康公没後、孫市まごいちはその功績から松平 直政まつだいら なおまさ公(家康公・孫)によって松江藩まつえはん(現在の島根県)へと招かれ近侍きんじ指南役しなんやくを仰せつかり、のち不伝流ふでんりゅう居合術の礎となります。

戸田 孫市とだ まごいちが松江藩へと招かれた後、不伝流は伊藤 長太夫 次春いとう ちょうだゆう つぐはるが門下に加わり、孫市の嫡子ちゃくし重昌しげまさが三代目宗家を相続。伊藤 次春いとう つぐはる一伝流いちでんりゅうの祖・浅山 一伝 一存あさやま いちでん かずのりの門下であったが一存かずのり没後は諸国を廻る旅へ出たと思われ、数十年に渡る武者修行の末に戸田 孫市・重昌しげまさの元に落ち着いたのではないかと推測されます(前半生は謎の多い人物です)。

戸田家 家譜 見聞録
松江藩戸田家 家譜見聞録。九代当主・忠純著の古文書。この書から戸田家には不伝流剣法が伝わっていた事がわかり、流派再興へと繋がった。


享保きょうほう二年(1717年)、孫市が没し(慶長けいちょう期からその名があるので恐ろしく長寿だった)、同時期に次春が重昌のはからいによって松江藩へと仕官。享保十年(1725年)、重昌が嫡子ちゃくしないままに他界し、不伝流(江戸不伝流)は断絶の危機に瀕してしまいます。次春は不伝流剣法に一伝流いちでんりゅうの技法を取り入れ、新たに不伝流ふでんりゅう居相術いあいじゅつ(松江不伝流)として再編、伊藤 不伝いとう ふでんを称します。この際、技の純化じゅんかのため居相いあい(居合)の技だけに絞ったと伝わっています。また、戸田家では脇坂家より養子として迎えた安長やすながが家督を相続。江戸不伝流もまた戸田家に一子相伝いっしそうでんの様な形で口伝くでんとして受け継がれていきます。

七代藩主 松平 不昧公まつだいら ふまいこうの時代、門下三千名を数え不伝流は最盛期を迎えます。不昧公ふまいこう自身もまた武芸に堪能で不伝流を鍛錬すること二十年。奥義相伝し、師をも超える域に達していたとか。自ら「坤の巻かみのまき」を著し、不伝流居相に新たな工夫を加えたと伝わります。そして、戸田家では六代当主・忠誼ただのぶが嫡子が無いままに他界、再び断絶の危機に瀕しますが、不昧公ふまいこう御落胤ごらくいん(=隠し子)とされる戸田 藤馬とだ とうまが養子として戸田家の家督を相続。この藤馬の子・戸田 忠純とだ ただずみ口伝くでんを基にまとめた江戸不伝流の古文書が戸田家に現存しており、これが現在の不伝流剣法再興へと繋がって行きます。

時代は明治を迎え、多くの剣術流派と同じく不伝流もここで大きく衰退。戸田家では一部の技が口伝として残るも松江においては道場も無くなり失伝してしまいます。

2012年、他流にて師範を務めていた現宗家・十四世 戸田不伝が、先祖伝来の口伝と古文書を基に江戸不伝流を完全復元。百余年の時を経て不伝流剣法再興へと相成りました。再興から10余年、現在は札幌本部道場、山陰支部道場として活動しています。

不伝流宗家 家譜
家譜見聞録を基にした開祖・伊東不伝から、現宗家・戸田不伝までの家譜


不伝流再興までの概略
不伝流再興までの概略


2. 不伝流剣法について


不伝流では戦国時代の介者剣法をルーツとし、実戦本位の剣術を当時のまま形を変える事なく修練しています。刀礼や血振りといった礼儀の所作を除き、戦闘に必要のない無駄な装飾動作を一切廃した完全なる実戦剣術。所謂活人剣かつじんけんというものではなく、文字通り相手をたおすための剣です。

不伝流の所作は一般的な居合道の動きと比較して、かなり独特な動きに見えるかもしれませんが、これが戦国由来の古流剣術の動きでもあります。

  • 刀は右拳と左拳を隙間なく握る

  • 構えは足のスタンスを広く取り腰を落とす(ただ体勢を低くするのではなく腰重心)

  • 前後移動は足で歩くのではなく腰に重心を置いたまま摺り足で行う(ナンバ歩き)

  • 更には腰の回転でもって前後左右に重心ごと移動する

  • 体捌たいさばきの後に斬るのではなく、体捌きと同時に斬る

  • 受けてから斬るのではなく、受け流しながら斬る

  • 全ての動作において可能な限り両腕両足を内に入れて身体を締める事を心がける


右拳と左拳の間隔を開ける握りが現代武道では最早当たり前となっていますが、この握りはデメリットの方が多く、小回りが利かず咄嗟の返し技や変化技には対応し切れず、閉所戦闘や乱戦にも非常に不向きです。また、腰が入らず身体が開いていると技の威力も半分以下に落ちてしまいます。何より身体が開き重心が傾くと人体構造の上で避けては通れない硬直が発生し、これが完全に無防備な状態を作り出してしまいます。重心が傾いている方向へ軽く押されたり、引っ張られたりするだけで、人は簡単に倒れてしまいます。

腰に重心を置いた体捌きを身に付ける事でこういった状態を回避することができます。小さな所作から大きな動作に到るまで徹底して無駄を省き、最短で構えて最短で攻撃、相手に対して隙を作らない。実戦ではコンマ1秒の遅れが命取りになるかもしれない。たとえ攻撃を回避・防御されたとしても間髪入れずに次の一手へ移行できること。無駄な動作を徹底して排除したという事は、裏を返せば全ての所作に意味があるという事でして、ごく小さな動きが一つ欠けてもその技は正しく成立しないという事になります。

真剣による斬り合いなど、まずあり得ない現代社会において、これらは無意味な事なのかもしれません。ですが、本当の意味で「当時のまま形を変える事なく」とはこういう事なのではないでしょうか。

不伝流の組太刀稽古
戸田不伝(左)と藤原幸衡(右)による組太刀稽古。相手は待ってくれない実戦さながらの組太刀。無用の動作を一切廃し、隙の無い合理的な動きを最短で行う本当に戦える剣。木刀であっても「当てる」のではなく、あくまでも「斬る」ことを意識する。


試斬についても同様で、ただ斬れれば良いというものではなく、しっかりと正しい動作を身に付けた上で斬れる事。刀を振り下ろした際に切先が下を向く、横に流れる、身体ごと横に流れる、果ては勢い余って刀で地面を叩くなど。これらは完全にコントロールを失っている無防備状態で、剣術における死に体です。正しい振り方が身に付いていない何よりの証拠。鋭利な刃物へ重力加速が加わるのでこの様な振り方であっても案外簡単に斬れてしまう事が多々あります。

しかし、これは技術で斬っているのではなく、物理の法則で斬れているだけなんです。これで斬れたと思っている人はかなり多い。正しい振りが身に付いていれば、振り下ろす際に拳から先に落ちて切先が後から落ちてきます。これが本当の意味で対象物に対して刃筋が立った状態になります。これを維持したまま振り下ろせば自然と引き斬る動作へと繋がります。この動作がしっかりと身に付いていれば刀を自分の意のままの位置で止める事ができ、これこそが刀を完全にコントロールしている状態になります。これが身に付いていればたとえ回避・防御された場合でも、瞬時に次の一手へと移行することができます。

試斬は形稽古の延長であって、普段の形稽古と全く同じ動きで斬る事ができるかの確認。つまり、形稽古の答え合わせが試斬稽古です。しっかりと正しい動作を身に付けていないと、試斬の際にはそれが顕著に現れます。

また不伝流では、試斬に特化した現代刀を使用しては本当の技術は身に付かないとし、伝統的なハマグリ刃の刀を使用して試斬しています。そして、扱いを一歩間違えれば大怪我にも繋がりかねない事から、試斬稽古も真剣を使用しての形稽古も段位を取得して初めて許可しています。

日本美術刀剣保存協会 主催の日本刀展にて演武試斬会
札幌市で行われた日本美術刀剣保存協会主催の日本刀展にて演武・試斬を行う


不伝流剣法 藤原幸衡 氏

3. 技術を正しく後代へ受け継いでいくこと


不伝流では「年功序列」「〇年続ければ〇段取得」「入門した順に上の段位へ進む」、これらは一切ありません。相応の技量まで達したと判断されない限り、昇段の資格は与えられません。
何より正しく技術を身に付けること。段位を取得することによって、今度は後進へ指導する立場となります。分不相応の者へ段位を与えてしまうと指導レベルの低下を招き、指摘すべきを指摘できず、間違った技を指導するなどの問題を引き起こします。つまりは技術が正しく伝わらないという事。これが数代も続けば取り返しの付かない程に劣化の一途を辿り、その技は最早別物になり果ててしまう事でしょう。

特に基礎をしっかりと身に付けていないと後々大変な苦労をします。不伝流の指導部には藤原という基礎をこれでもかというほどしつこく叩き込む人間がいまして、以下の様に述べています。
いかに高度な技を覚えたとしても基礎動作を疎かにしていると、それは上辺だけで全くサマにならない。逆に基礎動作がしっかり身に付いていれば基本的な技であっても凄い実力者というのが一目見てわかる。構えを見ただけで実力の八割、構えから振り下ろしまでの一連の動作を見ればその人の実力のほぼ全てがわかってしまう。

見る人が見れば一発でわかってしまうんです。

4. 同じ趣味を持つ仲間達


ここまでの内容からもの凄い厳しいイメージを持たれてしまうかもしれませんが、現宗家・十四世 戸田不伝とだ ふでんは気さくな人柄(本当に強い人は優しいんです)で、「同じ趣味を持つ仲間を作る場所」として活動しています。戦国時代発祥の剣が故に和気藹々と物騒な言葉が飛び交っております(笑)「今のは〇んだわ」とか「それじゃ〇落とせんわ」とか(笑)。そして、武道や格闘技にありがちな厳しい上下関係といったものは一切なく皆が同じ位置に居て、皆が平等です。

刀を扱う武術ですので続けていけば自ずと真剣に興味が湧いてくるわけですが、戸田宗家は日本刀への造詣がかなり深く、その影響から皆さん例外なく古い時代の日本刀(主に古刀)に興味を持ち始めています。また、かなりマニアックな歴史知識を持つ人が数名所属しており、元からの歴史好きは勿論のこと、これまで歴史にあまり関心の無かった人も触発されて興味を持ち始めるなど、今では刀剣と日本史が不伝流共通の話題になっています。

藤原幸衡の刀剣コレクション
藤原幸衡の刀剣コレクション。居合から始まり趣味は日本刀へと拡大。
銘や鑑定書などは一切アテにせず、自分の目で確かめて「これだ」と思った物だけを購入している。


5. 長く楽しく続けられること


始める理由は人それぞれで、日本の古武術に興味がある、日本刀が好き、歴史が好き、強くなりたいなど、千差万別です。しかし、折角始めたのに続かなければ意味がありません。見て覚えろ、と言ってもわかるわけがない。たった一度教えただけで覚えられるわけがない。折角、興味を持ってくれたのに教える側次第では嫌になってしまうかもしれない。厳しく耐え忍ぶ事よりも楽しく続けられること。不伝流では初心者・未経験者の方にもかなり親切に指導しています。

前述しましたが始める理由は人それぞれ。皆に共通していることは剣術・居相が好きだからということ。好きだからこそ長く続けられるわけです。

長文になりましたが、これを読んで少しでも興味を持っていただけたなら幸いです。

松江城馬溜にて 不昧公200年祭演武会
不昧公200年祭(没後200年)松江城の馬溜にて行われた不伝流演武会


出雲大社拝殿にて奉納演武
出雲大社の拝殿にて戸田不伝(右)と藤原幸衡(左)による奉納演武。
戸田家と出雲国造家は縁戚関係にあたり、その縁から行われた奉納演武。


不伝流剣法 公式サイト

不伝流剣法 札幌本部道場 紹介ページ





※記事の内容は、寄稿頂きました 藤原幸衡 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。



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