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2026.10 更新
約350年にわたり受け継がれてきた無外流。その流祖・辻月丹は、後世に「形」だけが残り、剣の奥にある精神や道が失われることを恐れていました。塩川・新名伝 無外流 第十七代宗家を継承した武田鵬玉氏に、免許皆伝の巻物に記された「無外流むがいりゅう剣法訣序けんぽうけつのじょ」を読み解きながら、流祖が未来の継承者に託したものを考察していただきました。

本コラムは、最初に原稿用紙約30枚に書き綴った文章を約6枚まで凝縮し、さらにそこからあらためて書き直していただいたものです。
「技、禅、そして精神――無外流を次代へ受け継ぐことの意味を問い直す」。武田氏の想いが込められた寄稿コラムを、ぜひお読みください。

流祖・辻月丹の志を次代へ

――塩川・新名伝 無外流第十七代宗家を継承して

塩川・新名伝 無外流 第十七代宗家 武田鵬玉 著

1. 免許皆伝の巻物に記された、流祖の言葉

武田鵬玉私が子どもの頃、巻物は神秘の象徴だった。口にくわえて印を結べば煙に包まれ、巨大なガマガエルが現れる……。
「あの巻物には、いったい何が書かれているんだろう?」
そう思ったのは、私だけではあるまい。

私が横浜武道館で拝受した無外流の免許皆伝の巻物を開いてみよう。そこには、流祖・辻月丹が著した、いわゆる「無外流むがいりゅう剣法訣序けんぽうけつのじょ」が収められている。無外流の剣を学ぶ者なら、その後に記された無外流剣法の十法の方に興味を持つだろう。だが、塩川寶祥しおかわ ほうしょう宗家、新名玉宗にいな ぎょくそう宗家より伝を受け、塩川・新名伝 無外流 第十七代宗家を継承した私は、そうはいかない。

正式な継承を受けた以上、先達、ことに流祖が何を考え、何を後世に残そうとしたのか。その序文を読み解かなければならない。実は、この序文は漢文で書かれ、漢籍の言葉が縦横に用いられている。

臨済宗りんざいしゅうの禅僧で、花園大学の学長も務められた大森おおもり曹玄そうげん老師は、「漢籍で書けたのは、無外流の辻つじ月丹げったんだけだ」とおっしゃった。 当時は、有名な剣客であっても、ひらがなしか書けない者がいたという。辻つじ月丹げったん恐るべし、だ。 しかし、この漢文の序文を、いったい誰が正確に読むことができたのだろう。

そもそも免許皆伝の巻物を、師である宗家から正式にいただくという前提条件が必要だ。そういう対象者は、その前には、免許、百足伝ひゃくそくでんをいただいている。序文を理解するための素地がすでにあるからこそ、免許皆伝の巻物を手にするわけだ。それでも、巻物を開き、ずらりと漢字が並んでいるのを見た歴代の先達は、何を考えられたであろうか。

さて、無外流宗家の継承を正式に受けた今、私は「無外流むがいりゅう剣法訣序けんぽうけつのじょ」をテーマにせざるをえまい。この序文に使われている用語を調べ、引用元となった古典をたどり、一つひとつ読み解いてみた。

無外流免許皆伝の巻物
第十七代宗家 に引き継がれた無外流剣法訣序の巻物

2. 辻月丹が恐れた「形だけが残る未来」

驚くことがある。それは、流祖が恐れていたということだ。

「窃ひそかかに憂うれう。百歳の後、伝習その緒を失い、奥微おくびき聞くこと莫なからんことを。」

ここで流祖は、自らの死後、遠い未来を見ている。

流祖が恐れていたのは、流派が滅ぶことではない。未来に「形かただけが残ること」を恐れていたのだ。 形が残れば、後世の者は、「自分の技の方が正しい」「自分の術理の方が正しい」と争うと考えたと流祖は言う。 術理を争う中でも、技は残るかもしれない。しかし、道は失われる。

「あるいは奇技きぎをもって倫みちを壊こわる。」

人目を引く奇抜な技ばかりを追い求め、人の道を損なう者も現れる。流祖は、これを「形器けいきに所得する者」技を云々する者と「精神を全うする者」その魂をものにする者とは同じではない、イコールではない、と表現する。

「ああ、歎たんずべきかな。」

遠い未来を憂う流祖・辻月丹の姿を想像する。

「伝でんを誤り、真を濫みだるる者あり。」

この言葉を現代に引き寄せて言えば、師伝を離れながら伝承を誤り、それでも自らを本物と称する者も現れるだろう、ということだ。

その先を私なりに現代語にすれば、こうなる。
「たとえ連城の宝のような価値を持つものであっても、その真価が理解されなければ、存在しないものと同じである。まことに嘆かわしい。」 流祖の嘆きは、こういうことだろう。 「技や形だけを身につける者は数多く現れた。しかし、精神まで修める者は、雲の上ほど遠く、極めて少ない。」

宗家継承の儀
宗家継承の儀

3. 技の向こうにあるもの――無外流と禅

私は、居合が武道であれかしと思う。武道である限り、その根幹は強さでなければならない。少なくとも、私が受け継いだ無外流において、独りで形を演じるだけでは、間合も、空 気が変わる瞬間も、肌が粟立つ変化も、確かめることはできない。

であれば、居合の命は組太刀と試し斬りだ。

そしてその太刀は「抜き即斬」でなければならない。抜き打ちの初太刀で勝負を決める のだ。しかし、無外流において「抜き即斬」の行きつく先は、俗にいう「置き藁」だ。台に固 定せず、ただ置いただけの畳表たたみおもてを、座技の抜き打ち横一文字で斬ることができなければならない。

そんなことができようか。

間合いもはからず、抜いて構えなおさず、抜いていったん手元にひかず、先々代塩川宗家言うところの「一拍子」抜刀の瞬間に斬りはらう。

「斬れなくて、何が居合道家だ。斬れない居合は、ただの踊りだ」

先代・新名玉宗宗家の言葉である。これは真理だ。私は、その言葉から逃げずに稽古を重ね、置き藁を座技からの抜き打ち横一文字で斬るところまでたどり着いた。

だが、できて感じる。「斬れたからといって、それが何なのだ」

斬れることは必要だ。しかし、斬れることが、無外流の到達点ではない。

鵬玉会では、「自由組太刀®」として、フリースタイルで実際に戦う組太刀を長く磨いて きた。自由組太刀を突き詰めていけば、古の剣客が、なぜ剣の先に禅を必要としたのか、その 気持ちがわかる。相手が動く、その直前。空気が変わる瞬間がある。肌が粟立つ。目で見てから動いたのでは、もう遅い。その変化を肌で感じ、機を捉えなければ、勝負にはならない。そして、無外流がその技術を形の中に残した意味を理解する。形は、決められた動きを覚えるためだけにあるのではない。かつての剣客たちが命を懸けてつかんだ間合、機、胆力、そして心の働きを、後世へ伝えるためにある。

だが、そのとき、再び感じる。
「相手を斬ったからといって、それが何なのだ」
斬れるようになる。戦えるようになる。
 「それがなんだ」と言いたくなる。

この感覚は、そこに立ってみて初めて感じるものだと思う。 「まずはできるようになろう、後の話はそれからだ」私はそう言う。無外流の出発点は、おそらくできたところからだ。「何を言われようが、まずできてから言え、だ」。

先代・新名宗家は真理を言う。技ができないまま、技を超えたと言うことはできない。 斬れない者が、「斬ることがすべてではない」と言っても、それは逃げでしかない。 しかし、斬れるところまで行き、戦えるところまで行き、その先で、「斬って何になる」と自らに問う。そこからが、無外流なのだ。

「無外流は禅をもって教導いたすところ」
流祖がおっしゃったのは、口先だけのことではなかった。臨済禅の「十牛図」では、人が牛を探し、その足跡を見つけ、牛を捕らえ、やがて牛も自分も忘れ、最後には再び人の中へ戻っていく。
無外流の修行も同じだ。初めは、目に見える技を追い、形を覚える。やがて、その奥にある理ことわりを知る。さらに進めば、技や形を意識せずとも、剣と人とが一つになって働くようになる。そして最後には、修行したことを誇るのではなく、その剣を自らの生き方として、人の中で生かしていかなければならない。

形を極めることと、形に閉じ込められることは違う。形を捨てるのではない。形を通り抜け、その向こうへ出るのだ。

無外流の習熟の段階は、この十牛図じゅうぎゅうずと見事にリンクしている。あるときから、書物の知識ではなく、肌でそれを感じるようになる。どうしようもなく感じるのだ、としか言いようがない。その詳細は、「鵬玉イアイ年鑑2026」を参照いただきたい。技術ができるのは当たり前だ。その形の向こうへ、突き抜けることができるか。そして、その剣を、自らの生き方にまで高めることができるか。流祖が未来の継承者に託したのは、まさにその問いではなかったか。

宗家継承の日のために書かれた、新しい「無外」。それは、約350年受け継がれてきた無外流の歴史を背負いながら、第17代宗家の時代が始まることを象徴するものとなりました。
宗家継承の日のために書かれた、新しい「無外」。それは、約350年受け継がれてきた無外流の歴史を背負いながら、第17代宗家の時代が始まることを象徴するものとなりました。

4. 宗家が受け継ぐもの、次代へ託すもの

百歳の後、この流儀の伝承が道筋を失い、その奥深い教えが誰にも知られなくなるのではないか。だから、流祖は十法を書き残したのである。いつか、この巻物を継承した者の中から、序文の意味を読み解く弟子が現れるかもしれない。その未来の継承者に託された、とてつもなくでかい課題だ。

そして今、その課題は私の手元にある。私が受け継いだのは、完成された答えではない。流祖から、約三百五十年の時を超えて突きつけられた問いである。

何を残せば、無外流を残したことになるのか。
形か。
技か。
巻物か。
系譜か。

もちろん、そのすべてを正しく伝えなければならない。しかし、それだけでは足りない。斬れない剣、戦えない居合、土壇場で働かない技を、どれほど美しい形に包んで百年残しても、それは流祖が後世に託した無外流ではない。だからといって、ただ強ければよいのでもない。

人目を引く奇技に走り、人の道を壊すならば、それは流祖が最も戒めた姿になる。強さを求めながら、強さに呑まれない。恐怖の中で心を鎮め、間合を知り、機を捉え、剣を通して、いかに生き、いかに死ぬかと向き合う。そして、その強さを、人としての生き方にまで高めていく。そのために禅がある。それが、私の受け継いだ無外流の精神である。

無外流の形は、「一法いっぽう実じつに無外ほかなし」の基本一から始まり、やがて「万法帰一刀ばんぽうきいっとう」へと至る。その物語の中で、内伝、奥伝へと進むにつれ、人を斬らなくなっていく。斬れるところまで行き、戦えるところまで行き、その先で剣を収める。ところが、その物語の外に、宗家だけが知る秘伝がある。秘伝は五本。バージョンの違いまで含めれば、九本ある。免許皆伝者でさえ、伝授されるのは、そのうちの一本だけだ。秘伝のすべては、宗家だけに伝えられる。いずれも、瞬殺の技である。

人を斬らない境地へ向かう物語の外に、なぜ瞬殺の技が残されているのか。

矛盾ではない。宗家には、流派を守る責任があるからだ。秘伝は、人に見せるためのものではない。自らの強さを誇るためのものでもない。その力を持ちながら、使わずに背負う。 それでも、流派を守らなければならないときには、その責任から逃げない。 秘伝とは、強さの勲章ではない。 流派を守る者に託された、宗家の覚悟の証なのである。

無外流において宗家とは、巻物を持つ者のことではない。系譜の最後に、自分の名前を書く者でもない。 流祖が未来へ投げかけた問いから、逃げない者だ。

技が残っているか。 強さが残っているか。 禅が生きているか。 そして、そのすべてを自分より先へ進める人間を育てられるか。 私が問われているのは、それだ。

技は先生が教えられる。形かたも教えられる。 しかし、精神だけは宗家が守らなければ、百年後に失われる。流祖が書いているのは、まさにそれだ。

人は、正式に継承しなくても、巻物をどこかで見ることはできるだろう。刀の技術も、形かただけなら受け継ぐことができるかもしれない。しかし、道は、ただ渡されるだけでは受け継ぐことができない。

道は、一人ひとりが自ら歩き、自ら体得し、その生き方によって初めて受け継がれるものである。

伝統とは、古いものをそのまま保存することではない。流祖の問いを、今を生きる者が自らの命で問い直し、次代へ進めることだ。

だから私は、無外流を理解するために「十牛図じゅうぎゅうず」を解説した。これからは、形かた、組太刀、試し斬りに込められた流祖の哲学と思想についても、一つひとつ謎解きをしていこうと思う。

私は令和八年七月四日、塩川・新名伝 無外流 第十七代宗家を継承した。
私は、流祖が剣法訣序けんぽうけつのじょに書いたように、その剣で海を割ることができるだろうか。
私は、岩を割り、空に雷をとどろかせることができるだろうか。

いや、そんなものはまだ小さい。私一人がそれをできたからといって、それが何なのだ。それができる人材を、私は何人育てることができるだろうか。

宗家を継承したという事実だけでは、流祖への答えにはならない。私が育てた者たちが私を超え、その先の無外流を切り開いたとき、初めて答えの一端が見えるのだろう。

流祖・辻月丹の志を受け継ぎ、その精神を次代へつなぐ。 そして、私を超えていく人材を育てる。それが、塩川・新名伝 無外流第十七代宗家としての、これからの私の仕事である。

令和八年八月吉日

塩川・新名伝 無外流第十七代宗家
武田鵬玉

先代に当たる無外流明思派 新名宗家(左)と第十七代宗家 武田宗家(右)
先代に当たる無外流明思派 新名宗家(左)と第十七代宗家 武田宗家(右)

【宗家継承】346年受け継がれた無外流 ー 塩川・新名伝 第17代宗家誕生の瞬間【完全記録】

高市早苗首相 からもお祝いメッセージ
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※記事の内容は、寄稿頂きました 武田鵬玉 様の意見であり、居合道 道場案内所としての意見ではございません。