神心館道場
道場データ |
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関口流 | |
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所属なし | |
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http://sekigutiryu.web.fc2.com/ | |
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道場 | |
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居合、 抜刀、 試し斬り | |
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事前連絡が必要 | |
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■神心館道場の紹介
流派の正式名称を関口流抜刀術と言います。
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■関口流抜刀術(新心流) 戦国時代から続く関口流開祖 関口弥六右衛門氏心柔心(1596〜1670、)は徳川家の家人として育ち、長じて松平飛騨守に仕え、本多甲斐守に招聘された後、寛永十六年(1639)に紀州(現在の和歌山県付近) 徳川頼宜に客分として待遇されました。
初代 八郎左衛門實親業魯伯(1630〜1716)は紀州藩指南役を拝命します。 和歌山市では無形文化財に指定されています。 紀州藩から松代藩へ八郎左衛門の門人の松代藩主 真田伊豆守により松代藩(現在の長野県)へ伝承します。弟 頼母 氏宗は伊達家 指南役を拝命します。
氏宗の子 彌太郎氏暁は寛永 御前試合に出る程の名人勇士で宮本武蔵、佐々木小次郎とも対戦し、将軍家指南役に推挙されるも固辞します。 関口氏族は清和源氏八幡太郎義家の流れをくむ誉れ高き名門で、祖父の初祖 関口刑部大輔氏広親永は戦国大名 今川 義元の妹婿で、徳川家康 正室 築山殿は娘であり、つまりは家康の義父にあたります。 桶狭間の合戦時は京で義元の上洛を待ち討死はまぬがれたが、徳川・今川 不仲後疑念を持たれ自刃する。氏心の父 刑部大輔氏幸は今川氏滅亡後、家康の長男 信康の側近に侍したが、信康がその室(徳姫)の父たる織田信長により切腹せしめられた後、松平上野介の家臣となります。柔心は日本柔術の祖とも記される程の名流で、居合、剣術、馬術、槍、薙刀、祖討の法、中国拳法、捕縛等武芸十八全般に秀でた戦国剣豪を代表する生粋の武人です。 江戸三大流派の一つに甥 弥五右衛門氏成によって彦根藩(現在の滋賀県)に伝わり、井伊直弼は希有な剣客で新心新流を興しました。
弥左衛門頼宜によって小関口流と称され、柔新心流の名で尾張徳川家へ伝承されます。井沢長秀が澁川義方から学んで肥後細川藩(現在の熊本県)へ伝承します。また、甥の関口氏成の系統は和新心流と呼ばれ、徳川幕府の庇護の下、江戸三大流派の一つとされ、西尾藩(現在の愛知県西尾市)、南部藩(現在の岩手県盛岡市)、伊達藩(現在の宮城県仙台市)、因州池田藩(現在の鳥取県)、桑名藩(現在の三重県桑名市)などに広く伝承されていきました。 唯一無二の太刀抜き剣技は肥後栫朱鞘の長刀を帯刀し、静淵から激越に変化する美技の連続で、一度抜けば一刀のもとで敵を倒す電光石化の剣です。また、戦国時代の太刀抜き刀法を継承する希有な流派でもあります。 単に「居合」といふが関口流のみは抜刀といひ、他流は凡て皆居合といへり、坐したままで佩刀を自由に引抜き敵を斬り又は敵と戦ふ術、一に「抜刀」といふ(肥後武道史)
肥後流居合とも呼ばれます。
津軽 十二代藩主 承昭宗藩肥後熊本 細川藩御流儀、津軽十一代藩主 順承宗藩尾張 徳川家御流儀で津軽藩とも有縁の流派です。五代藩主 津軽 信寿夫人は家康の娘亀姫の孫で津軽家と血縁関係にあります。 ■竹林演武 |
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■フォトアルバム(写真をクリックすると拡大表示します)
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■活動場所
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